2013年9月21日土曜日

王国の誕生,あるいは,新たな「自由からの逃走」(on twitter @rahumj)

 ネットの無料サービスは無料ではない.そのサービスにおける会員の挙動は,すべてモニタリングされている.そこで得られたデータは,ユーザ全体動向統計のデータとなるだけではない.挙動パターンのみからその個人を特定できるほどの,個人プロファイル生成にも使用される.

 莫大な人数の個人に関する詳細なプライベート情報を保有し,それをマクロ・ミクロに渡って分析する能力を持つ者が,市場や世界を牛耳る.情報を持たない者は,情報を持つ者に支配される.脳に情報が集まっており,身体が脳に支配されているように.

 我々は,利便性や自己の欲求を満足させるために,目に見えない形で,ネットサービスに,自己を売り渡しているのだろうか?

 ネットサービスによるコミュニケーションの支配が進めば,それを通じて行われる言論はコントロールされるだろう.例えばサービス側に不利益をもたらすメッセージを誰かに送信しようとすると,「内部サーバエラー」を返して,送信をブロックするようなシステムを導入する.

 サービス内の法律は,そのサービス提供会社が作っている.ユーザーはその法律,すなわち約款を吟味し,そのサービスと契約するかどうかを判断する.しかし契約後,そのサービス内の法が守られているかどうかを判断することはできない.そのために外部機関による監査が必要となるだろうが,そのようなものは実際には存在しない.したがって現在のところ,サービス会社側が意図的に「内部サーバエラー」を起こしていたとしても,誰もそれが本物のエラーなのか,意図的に起こされたエラーなのかは判断できない.

 これらのコントロールは,サービスの一極集中によって可能となっ ている.一つのサービスが,個人のあらゆるニーズに応えていくのであれば,個人情報もあらゆる角度から収集され,その個人のプロファイル像は,多次元空間 の中で明確な位置を持つ.つまりおぼろげだった個人プロファイル像は,ついに焦点を結ぶ.ネットワークアクティビティ情報のみからの個人特定が可能となるだけでなく,彼の情報的資産はすべて,サービス会社の手中にある.

 インターネットの基本精神は民主主義であり,負荷や通信の分散,様々なデバイスによる多様性,そしてそれをまとめるルールであった.そこには,王はいなかった.しかしいつの間にか,この分散レイヤーの上に,いくつかの仮想的中央集中型システムが構築された.王国の誕生だ.

 もし我々が,一極集中型のサービスによってのみ,情報の出し入れや活動ができなくなっているとしたら,それは極めて危険であることは言うまでも無い.それは「依存」であるのだから.

 多様なたくさんのノードから構成されているのがネットワーク(網).それは多様なたくさんの存在が,それぞれの存在を認め合い,少しずつ互いの生存を支え合っているのが本来の姿であろう.私はその「小さき者の群れ」を愛して止まない.

 我々は歴史から,かつて一極集中のもたらした悲劇を,学びなおす必要があるのかもしれない.

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